中世からの豪族「梅田氏」居館の林泉庭園であり、全体の構成と石組の手法には鎌倉末期から室町期の特色がよく保存されている。梅田氏は平維盛の流れを汲み、寿永2年(1183年)の倶利加羅・篠原の合戦の後この池田郷に居を構えた。

地籍名「上屋敷」にその面影をとどめ、京を懐かしんで名づけた高尾山、愛宕山が庭園の雄大な借景となっている。東南に山を控え、西に池田郷一帯を俯廠する邸地の景況も、よく保持されている。

京の天龍寺庭園を作庭した夢窓疎石が諸国行脚の折に造園指導されたとも伝えられ、昭和52年に国の名勝として文化財指定されている。